映像をそのままプリントアウトして残しておける「写真」。
一昔前はプリントアウトされた写真をアルバムにまとめて
各家庭で保管しておく、ということも珍しくありませんでした。
現在ではSNSの普及によりデータでの保管が当たり前になり、
パソコンやスマホ・あるいはクラウド上に保存しておく人が
多いのではないでしょうか。
今では一瞬で撮れる写真も、昔はおおがかりな作業によって
記録しなくてはならないものでした。
今回は、そんな写真の歴史について紐解いていきたいと思います。
写真の歴史
時は19世紀、発明家のジョセフ・ニセフォール・ニエプスは
光の性質を利用して、
映像をどうにか記録できないかと実験を繰り返していました。
当時は、「カメラ・オブスキュラ」という現在のカメラの原型となる
写真機はありましたが、
写真を記録するものではなく、ただ映像や風景を、小さな穴を通じて
箱の中に投影するだけの代物でした。
その投影された風景や映像を芸術家や画家などが自らの手で
書き写す必要があり、
記録する装置は存在しませんでした。
実験の中でニエプスが着目したのが「アスファルト」の特性。
アスファルトは光を当てると固くなります。
それを利用できないかと銀メッキした金属板に、アスファルトを塗って
実験したのでした。
その研究が功を奏します。
固まらなかった部分は洗い流し、固まったアスファルトの部分は残ります。
そのアスファルトの部分が「風景の画像」になるわけですね。
この方法を利用し世界初の写真が出来上がりますが、
アスファルトが固まるまでの時間はおよそ8時間。
あまりにも実用的ではない写真の作成方法ですが、そもそも映像をそのまま
残すという技術が存在しなかった当時は画期的な研究でした。
現在のような写真の原型が初めて登場したのは、同様に19世紀。
「銀板写真法」と呼ばれる形で誕生しました。
銀板写真法を完成させたのは画家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲール。
今のような写真紙などに映し出すわけではないものの、
銀メッキ銅板に30分かけ、映像を記録することに成功しました。
アスファルトを使うわけではないので、固まる時間を設ける必要もないため
この時点で既に大きく現像までの時間が短くなっています。
ダゲールが確立させたこの銀板写真法は、瞬く間に世界に普及していきます。
というのも、フランス政府がダゲールに終身年金を補償する代わりに、
ダゲールもその方法論をフランス政府に提供し、
フランス政府が主導で銀板写真法の仕組みを国民に伝えていったからです。
この銅板写真法はダゲールの名前をとって、
「ダゲレオタイプ」と名付けられました。
ところが、これをよく思わなかったのが
当時の芸術家たち。
19世紀に人気を博した画家のなかでも中核的存在であった
ポール・ドラローシュに、
「今日限りで絵画は死んだ」と言わしめるほど、
写真というものの誕生は芸術界に衝撃を与えるものでした。
それまで写生のための道具の一つとして使っていたカメラ・オブスキュラが、
そっくりそのまま狂いもなく現像できるようになると、
絵描きの仕事はなくなってしまう、というように考えられたわけですね。
もちろん、現代でも写真は写真、美術は美術と共存していて
写真が美術や芸術にとって代わるなんてことはありません。
ただ当時はカメラ・オブスキュラで映し出された風景を
手で写す、というのが当たり前の時代だったわけですから
それがものの30分で、自動で表現できるとなると
芸術家や画家の危機感というのは相当なものだったことが想像できます。
ただこの写真法にも限界があり、
銅板に現像する方法になりますから銅板1枚に写真が残されるのみで
焼き増しなどは出来ませんでした。
つまり、量産には向いていなかったわけですね。
またイギリスには、
独自に写真法の研究を重ねる人物がいました。
名をウィリアム・ヘンリー・タルボットといい、
彼は「ネガ・ポジ法」という写真法を生み出します。
ネガティブのネガ(陰)に、ポジティブのポジ(陽)ですね。
紙を食塩水につけ乾燥させ、さらに硝酸銀溶液につけたものを
感光材料として利用したもので、
特殊な方法で現像すると1分ほどでネガティブ像(明暗の階調が逆。
すなわち、明るい方が黒く表現される像)ができました。
さらに、それを複写することでポジティブ像(明暗の階調がそのままの、
明るいほうが白く表現される像)が完成するという仕組みです。
これによって、同じ写真を何枚も複写することが可能となりました。
とはいっても、現像する際に用いるのは写真紙ではなくただの「紙」。
表される写真には鮮明さがまだ足りません。
1851年、この点を改良したのがイギリスのフレデリック・スコット・アーチャー。
彼が使ったのは一枚のガラス板でした。
ガラス板にヨウ化銀などの特殊な液体を塗布し、写真を現像するというものでした。
このガラス板を用いる方法によって、紙に映し出すよりも更に
鮮明な表現が可能になっていきます。
ところがガラス板になると、
写真はシャープに映し出される代わりに想像するとおり扱いにくく、
重たくて更に割れやすい素材であり、持ち運びに不便です。
そこで1888年には、取り扱いが困難なガラス板の代わりに
コダック・イーストマン社の創業者であるジョージ・イーストマンが
ロールフィルムを開発します。
軸に巻き付けた、帯状のフィルムのことですね。
わざわざ自分で加工しなくても、このフィルムをカメラに装着するだけで
一瞬で写真が撮れ、現像時間さえ待てば焼き増しも簡便になりました。
更に、現像しなくても写真がすぐに見れる「インスタント写真」も流行します。
1947年、アメリカのエドウィン・ランドが感光材料に銀を用いることで
すぐに写真を現像できる方法を発明し、
彼が経営していたポラロイド社から「ポラロイド・ランド95」として
発売されています。
芸術と共存してきた写真の歴史
写真は簡単に撮影できるようになったいまでも、
人々の心に残る瞬間を表現してくれる一つの芸術です。
アスファルトを固めるという古典的な技術から始まった写真法が、上述の通り次々に
改良されてきたのも、発明家のなせる業と言えますね。