アフィリエイト広告を利用しています

【カメラ】機械の眼が誕生するまでの歴史【解説】

どんな場面もはっきり記録に残してくれる「カメラ」。

 

機械の眼ともいわれ、望遠レンズや広角レンズなど
人間の眼ではとらえられない一つの瞬間、さまざまな景色を捉えて
残しておくことができるのがカメラの魅力です。

 

今ではスマートフォンもカメラが内臓されているのが当たり前になり、
非常に身近なものとして存在しています。

 

今回は、そんな「カメラ」の歴史を紹介していきます。

 

カメラの歴史

今はカメラといえば「撮影」が当たり前ですが、
最初はただの「景色を映し出す仕組み」のことでした。

 

カメラの原点は紀元前まで遡ります。

 

針穴のような小さな穴(ピンホール)から光が漏れ、
そこから景色が壁に映し出されることは知られていました。

 

また、本来は太陽の光を直接見ることができないために、
この太陽をどうにかして観察できないかということで
ピンホール現象は注目されていました。

 

紀元前4世紀には哲学者アリストテレスによるピンホール現象への記述が
残されています。

 

これを基にして、最も古いカメラの型である「ピンホールカメラ」が誕生します。
レンズではなく、ただの針穴(ピンホール)を利用したカメラのことですね。

 

いまでも、自由研究や工作の時間などで小学校などで
制作を取り入れるところもあるでしょう。

 

まだ、なぜ小さな光から像が映し出されるのかも
西洋では理解されていなかった時代です(東洋では墨子という思想家が
既にピンホール現象について一定の理解をしていたという
記録があります)。

 

レンズがない時代は、こういった針穴のような小さな部分から得た光を
映し出していました。

かなりアナログな撮影方法なのですが、現代のように簡単に写真フィルムや
レンズなどが手に入らない(存在しない)時代ならではの手段といえます。

 

またどうやって写真フィルムがないのにどうやって写真にするの?
といったところですが、
昔は写真として紙などに記録するわけではなく、映し出された映像を見たり、
それをそのままなぞって写したり、という手作業も加わっていました。

 

この時点では、まだ今のような「カメラ」の形とは程遠いですね。

 

15世紀ころになると、このピンホールカメラが改良され
「カメラ・オブスキュラ」という名称でヨーロッパの画家たちの間で
流行ったといわれています。

 

前述のとおり、映し出された映像を写生するために利用できるからですね。
この時はどちらかというと、カメラは写真技術というよりは
芸術的側面のほうが強いものでした。

 

16世紀には、ピンホールよりも明るい像が得られる凸レンズが登場します。
凸レンズというのは光を集めるレンズのことですね。

 

しかしまだこのころは、得られる像は上下左右ともに反転して
像が映し出されていました。

 

カメラ・オブスキュラは更に改良を重ねていき、
18世紀ころになると箱の中に鏡などを入れたり箱の上のほうのガラスに
像を映し出すようにしたりと
もっと実用的に使えるようになっていきます。

 

しかし、レンズは登場していますがまだこの段階で、
現在の写真フィルムのようなものは存在しませんでした。

 

なので、ガラスの上にトレーシングペーパーを重ねて模写するなど、
紙に映し出す方法はあくまでも人力に頼らざるを得ません。

 

感光材料に撮影することが可能になったのは、
19世紀に入ってからの話になります。

 

1825年、フランスのジョセフ・ニセフォール・ニエプスという発明家が、
アスファルトを感光材料にして1枚の写真を撮影しました。

 

しかし、この撮影には8時間の時間を要したと言われています。

 

このときの、ジョセフ自身の屋敷の鳩小屋の写真が、現存する最古の写真と言われています。

昔は画期的なことでしたが、8時間もかかるとなると、大量量産もできませんし
いささか手間がかかりすぎますね。

 

1839年になると、同国のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールという人物が
銀メッキした銅板を代わりに用いてそこに像を映し出し記録することに
成功しました。

 

これでおよそ30分で写真を記録することができるようになったといわれています。
この技術は「ダゲレオタイプ」と呼ばれます。

 

このころから、大がかりな撮影装置であるカメラも
少しずつ持ち運びしやすいものに変わっていきました。

 

また、写真技術が日本に伝わったのはこれより少しあとになる
1857年(安政4年)。

 

このとき日本人が撮った写真で現存している最も古いものが、
島津斉彬(しまづなりあきら)の肖像写真と言われています。

 

島津斉彬といえば、大河ドラマ「篤姫」でおなじみの
天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)の養父ですね。

 

19世紀後半になると、この写真技術もどんどんと発達していき
1888年になると皆さんにとってもお馴染みの
「やわらかいフィルム」が登場し、
さらに1935年になると被写体の色がそのままカラーで映し出される
「カラーフィルム」が販売されます。

 

1947年には、インスタントカメラ(ポラロイドカメラ)が誕生します。

 

カメラで撮影した1分後には自動的に現像され
写真を見ることができる、というのが非常に画期的で、
ポラロイドカメラは人気を博しました。

 

このころのカメラも現在とすると少し大きめのサイズだったのですが、
それよりも「すぐに現像した写真がみられる」という点が重要で、
カメラの大きさや重さはさほど問題とされていませんでした。

 

1975年にはオールデジタルの「デジタルカメラ」が発売されます。
デジタルカメラはデータとして写真を残せることが非常に便利で、
2010年には世界での販売台数が1億2146万台となりました。

 

しかし、現在ではスマートフォンに高性能なカメラが内臓されていることもあり、
デジカメの販売台数自体も減少傾向にあります。

 

奥深いカメラの変遷

カメラは最初、芸術家や画家の間で流行し、
その後撮影機械として何度も改良を重ねられていき一般化されてきました。

 

今でも写真として記録を残すために必要なアイテムですが、
意図的にブレを起こしたり、モノクロにしてみたり、
様々なアングルで撮ってみたり・・・と芸術的な表現をするための手段としても
用いられます。

 

一つの大切な瞬間を、いろんな表情で残してみたいものですね。