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【七五三】お祝いの由来・歴史とは?わかりやすく解説

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・七五三の由来ってなんだろう?
・日本の伝統行事?
・なんでお祝いするの?
・七五三について詳しく知りたいです

 

こんな疑問に答えます。

 

日本の大切な伝統行事である「七五三」

 

しかし、多くの人は「七五三」と聞いても、

 

「昔からある日本の伝統行事」

「よく分からないけど、七五三はやらないとダメ」

 

「七五三」を行うときも、

女の子であれば、

 

疑問を持った顔をしている女性
はっ・・!3歳だから七五三やらないと⁉

 

男の子の場合も、

 

驚いた表情の女性
だぁ~!!そーいえば5歳・・七五三じゃん!あぶな

 

と、言うような感じで、漠然と七五三の準備を始める方も多いのではないでしょうか?

 

ところでなぜ、「7歳、5歳、3歳」が節目とされているのでしょうか?

 

そもそも七五三というイベントが始まったのには、
どういったいきさつがあるのか気になる方もいるかもしれませんね。

 

今回の記事では、

  • 七五三の由来
  • 七五三の歴史

を分かりやすく解説していきます。

 

・七五三について
・七五三の由来
・七五三の歴史
・七五三の原型

 

七五三について

七五三の子供たち

「七五三」は、その名の通り7歳、5歳、3歳になった子供の成長をお祝いする行事です。

 

着物を着て神社に参拝しに行ったり、写真館に行って写真を撮ったり、各家庭でお祝いをします。

 

こどものお祝いとえば、

子供の成長を祝う行事は氏神さまに無事に生まれたことを感謝する「初宮参り」や、

子供用の箸やお茶碗を準備し、形式的ながら初めてごはんを食べさせてもらう

「お食い初め」

生まれて最初に迎える季節の行事である「初節句」がありますね。

 

その初節句の次のお祝いの行事が、この「七五三」ということになります。

七五三の由来

七五三の3人の子供たち

昔、「7歳になる前の子どもは、神の子」と言われていました。

 

どういう意味かというと、

「7歳まで生きて、やっと人として生まれたことになる」

というものです。

 

後述しますが、七五三が行事として執り行われはじめたのは、

「平安時代・室町時代」と言われます。

 

その時代は当然ながら現代のように医療が整備されておらず、乳児の死亡率が非常に高かったといわれています。

 

人別帳(現代でいう戸籍台帳のこと)にも載らず、死亡届を提出する必要もないほどでした。

 

そのくらい、7歳まで生きるというのはとても奇跡的なことで、7歳までは神の子どもで、

その運命は神が決めると考えられていたんですね。

 

7歳という節目を乗り越えてようやく「人としてこの世に誕生したもの」として扱われ、

その喜びは非常に大きなものでした。

 

そのため3、5、7歳前後という一つの区切りで

 

「今まで命が無事にあったことの喜び」を神様に感謝し、

「これからも健やかに成長してほしいという願い」を祈る、

 

というのが七五三の行事としての成り立ちとなります。

 

なぜわざわざ3歳、5歳、7歳なのかというと、

もとは中国で「奇数は縁起がいいもの」とされていたというのも一つ説として流れているようです。

 

七五三の歴史

赤い鳥居

七五三はいつから始まったのか…

いつから七五三が行事として行われはじめたのか…

 

というのは諸説あります。

 

七五三の由来でもお伝えしましたが、一つは「平安時代」。

そして、『室町時代』です。

 

どちらの説にしても、500年以上も前から七五三という行事は行われていたわけですね。

 

ただ、その時は現在のように「7歳、5歳、3歳」というはっきりした区分けはなく、

「髪置き」「袴着(はかまぎ)」「紐落し」「帯解き」をそれぞれ7歳になるまでに別々の行事として執り行っていました。

 

そして七五三はもともと宮中行事、つまり皇居にて行われていたもので、一般向けの催事ではありませんでした。

それがなぜ、庶民も行うしきたりとして広まっていったのでしょうか。

 

七五三が庶民に広まっていったのは、「明治時代」以降とされています。

 

もともとは500年以上前から行われていた催事ですから、それを考えると民に広まるまでは長い期間を要していますね。

 

宮中催事から民に広まるきっかけとなったのは、

江戸時代中期に町の呉服屋が、七五三を商業政策として取り入れたのが始まりです。

 

宮中催事で別々に行っていた「髪置き」「袴着」「紐落し」「帯解き」を一つにまとめて現在の「七五三」の原型として宣伝しました。

 

それが武家や商人の間で広まり、明治時代になると庶民にも広まっていきます。

 

さらに、現代の七五三には欠かせない縁起物とされる「千歳飴(ちとせあめ)」の歴史も江戸時代から始まっていて、飴売りが、

 

「飴のように細く長く、粘り強く、千年もの長い月日を無事に健康に過ごしてほしい」

という意味をつけて売り出したものとされています。

 

長寿を連想させる縁起物であり、さらに砂糖をたっぷり使った飴はこどもにも大人気で千歳飴は瞬く間に七五三に必要不可欠なアイテムになりました。

 

七五三も千歳飴も、商才たくましい者たちから庶民に広まったものということになりますね。

七五三の原型

七五三を楽しむ男の子と女の子

3歳のお祝い「髪置き」

 

昔は、男の子も女の子も、髪を剃っておくのが普通でした。

 

髪を伸ばしておくと不衛生でそのため病気などにかかりやすいと考えられており、

髪を剃り清潔を保つことで病気にかかりにくくするだけでなく健康な髪が生えてくるという風習がありました。

 

3歳前後になると髪置きという儀式を行い、髪の毛が白髪になるまで健康に長生きできるようにと白糸で作った白髪を子供の頭にのせ、白粉をかけて櫛で梳いていと伝えられています。

 

そこからようやく髪を伸ばし始める、というのが一般的だったようですね。

 

5歳のお祝い「袴着」

 

現在では男児だけのお祝いである5歳のお祝いごとですが、昔は男の子も女の子も袴を着て5歳のお祝いをしていました。

 

大人の仲間入りをするため・大人の自覚を持つための重要な儀式として捉えられており、吉方を向いて袴に着替える、冠を被って四方の神を拝んだ、と言われています。

 

7歳のお祝い「帯解き(紐落とし)」

 

7歳になるまでの女児は、帯付きの着物ではなく紐付きの着物を着ていました。

 

この帯解きの行事を迎え、女児ははじめて大人の装いとしての丸帯をつけることになります。

 

袴着が、男の子が大人の自覚を持つための儀式として扱われるように、この帯解きは女の子もまた大人の仲間入りをする一つの儀式と考えられていました。

おわりに

こどもの健やかな成長を願って

 

昔に行われていた形式的な行事とすると現代の七五三は大きく様式が変わっていますが、子どもの健康を喜びこれからの成長を願う親の気持ちはいつの時代も変わりません。

 

もともとの起源を知り、大きな節目を迎えられる喜びを家族皆で噛みしめながら、大切なひとときを過ごしましょう。